第五福竜丸の記憶

高木兼重のビキニ被ばくの証言

被ばくの証言を音声で記録しています。

(マウスでクリニックしていただけますと聴くことができます。)

 

1.出航の経過 1954年

2. 水爆実験は意識していたか?

3.水爆実験・・・その時

4.水爆実験 被ばく後の経過

5.体調悪化の様子

6,被ばく後に診療を受けて

7.補償の話とか

伯父の高木兼重は、大分県のマグロ漁師だった。
1954年、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験に遭遇した静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」に操機手として乗り込み、被曝した。伯父は、大分に戻ってからも数年は体調を崩して働けず、マグロ漁船には二度と乗れなかった。同じ津久見市内にいるときは家も近くだったので時々行き来していたが1989年12月8日、肝臓がんのため66歳で亡くなった。それも義父の見舞いに来てくれて元気な笑顔だったのに・・・それから数日で他界した。やはり被ばくしていたので抵抗力が落ちていたのだろうか、最後はあっと言う間だった。

これから もっと情報収集して掲載します。今回の録音音声は1983年7月の収録。元朝日新聞記者 三輪様が長年保存していた貴重な音声ファイルをシステム容量の関係で分割掲載させていただきましたのでご了承ください。